日刊 あおのうま Vol.1674(2015.10.28)【諦めるより】

投稿者: | 2015/10/28

道理 と 理解

「理想」という言葉における「理」の字には、少なくとも三つの要素があると考えています。

1つは「道理」。

これは、理想を実現するための筋道立てた考え方です。

これが無ければ、それは理想ではなく夢想です。

もう1つは「理解」。

これは、理想を実現するために必要な事柄を自分が認識しているか、周囲に納得して貰えるかです。

これが無ければ、それは理想ではなく妄想です。

道理を立てて理解を得る。

そうして初めて理想は形を成して行くのです。

と、偉そうな物言いをしましたが、実は職場で結構見かけるんですよね。

「道理」はあるけれど「理解」が足りていないと思しき人を。

そういう人が説く理想は、正しいのですが、まず実現しません。

現状の歪みを受け入れられず、拒絶したまま打ちのめされて行きます。

それを見るのが凄く残念で。

どうにか出来ないものかなと考えています。

私がファシリテーターになれれば良いのですが。

ファシリテーターとしては、少々(いや、かなり?)先走り過ぎるんですよね、私も。

難しいなあ。

あ。

私も自分のありたい「ファシリテーター」という働きに対して、理解が足りていないのか…。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください