幼児 と 言語
帰省の最終日、ほぼ入れ違いに帰ってきた弟夫婦とひさびさに再会。
可愛い甥っ子の成長っぷりを目のあたりにして、人の成長にただただ驚嘆させられました。
どう考えても「伯父」という概念は頭にないはずですが、弟が数回ほど私のことを「おじちゃん」と呼んでみせるだけで、すぐに「おいちゃん」と呼ばわる様になるのです。
単純に対照の認識と名詞の連結が行われているのだと思うのですが、自分が新しい単語を記憶する際に、そこまで素直に記憶しているかと考えると、答えはNOです。
おそらく様々な付加要素__つまり先に挙げた様な「伯父」という概念など__を絡めて記憶すると思うのです。
つまり、あの素直な語彙獲得の形態というのは、幼児期の様な急激な発達途上に現れるスーパーモードみたいなものなのかなと、そんなことを考えておりました。
と同時に、大人になった今でも、あの様な素直な語彙獲得というやつを意図的に__この段階でちと矛盾を感じますが__行えるならば、新しい言語の学習などに凄く有効かもしれないなどと、妄想めいたことも考えてみたり。
帰阪 と 感謝
帰省を終え、大阪へ帰ってきました。
久々に家族揃えたことに、実家の両親も喜んでくれた模様。
行きは富山での途中泊という変則的な旅程で、随分と疲れた様子でしたが、どうにか付き合ってくれた妻に感謝。
夏休み と 宿題
電波砂漠であった実家から、どうにかブロードバンドの恩恵にあずかれる大阪へ帰還。
そして、お盆の休暇は明日で仕舞いなわけです。
我ながら呆れたことに休暇前に思い描いていた「やりたいこと」の半分も済んでいません。
これ、毎年毎度繰り返しているんですよね。
Vol,1000を節目に転換するはずだった切り出しも、思うに任せず、だらだらと日刊だけ更新を続けること、はや3日目。
すべては見積りの甘さと、怠惰が招いた結果です。
来年はこうならない様にしなくては。 *01【来年はこうならない様に】あ、フラグたった?
脚注
↩01 | 【来年はこうならない様に】あ、フラグたった? |
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