日刊 あおのうま Vol.733(2012.11.19) – もう田舎を出てからの年数の方が長いんです –

投稿者: | 2012/11/19

田舎 と ド田舎

Kindle でこんな本を買って読みました。

Kindle ストアの内容紹介はこんな感じです。

格差って、見たことあります?
俺はあります。都会にいたときは見えませんでした。なぜなら、都会は雑多な人たちの集合体であり、雑多であることが前提だからです。
そこにはなんでもかんでも存在しているので、特に格差を「見る」必要はないわけです。(本文より)
田舎に押し込まれてわかった、俺が見た、もっと隠微で、それでいて明確な格差。
彼らは未来を封じられている……。

いつか田舎に帰ることを夢見つつ都会に身を置く者としては、とても気になる内容です。
さっそくポチって、昼休みに読んでみました。

内容に関しては、納得できる部分があると同時に、食べ足りない感を強く感じるものでした *01【食べ足りない感】もともとこのシリーズは非常にライトなボリュームを謳っているので、別におかしくはないのですが。 が、それよりも気になったのが文中の「田舎」の定義。

私の知る「田舎」と比べると、ちっとも「田舎」じゃない。
この文中に挙げられた「田舎」の定義と比べると、ウチの実家周りはさしずめ「ド田舎」とでも呼ぶべきでしょうか。

そして、この文中で言われるような「格差」はあまり感じたことが無くて、ちゃんと「勉強しろ」という大人ばかりでしたし、コンビニで夕飯を済ませる子供というのも、おそらく存在しません。
(というか、コンビニで夕飯を済ませるとか出来ません。なにせ最寄りのコンビニまで10kmほどありますから。)

ただ、この本で著者さんが言いたいことは、たぶんそういうことじゃありません。
穏やかながら閉塞した「田舎」という環境で、緩やかに沈んでいく若者達に、「大人が」でなく「自分が」何をできるか?という問いに行き着く過程と考察が語られています。

「田舎」の定義のギャップに思いっきりひっかかった私ですが、そこを取り払って、我が郷里を透かしてみると、やはり似たような閉塞感の中で緩やかに枯死して行くかの如き様子を感じてしまいます。

この本では、作者さんが自身に「では自分には何ができるか?」を問うたところまでで終わっています。
そこから実際に作者さんが何をどう目指し、どう行動し、どうなったのかは語られていません。
おそらく現在進行形で挑戦中なのでしょう。

我が郷里でも、この作者さんの様に「どうにかしたい」と考え、行動している人達がたくさんいます。
私はそれらの人達を遠目に眺めつつ、ただ「帰りたいなー」とぼやくだけ。

残された時間を考えると、もっと具体的な「何か」を検討せねばならないと考えさせられました。

 

追伸

作者さんのブログを見に行ったところ、閉鎖中でした。

残念に思いつつ、Facebook とTwitter にそのことをつぶやいたところ、@fujimotta さんより、作者さんが新たにブログを復活させていることを教えて下さいました。
@fujimotta さん、ありがとうございます。<(_ _)>

以下が作者のMK2 さんの新ブログ。

2013.11.19 追記

残念なことに、こちらも閉鎖されてしまいました。

24時間残念営業

 



 

脚注

脚注
01 【食べ足りない感】もともとこのシリーズは非常にライトなボリュームを謳っているので、別におかしくはないのですが。

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