子供に伝えることができるか?

投稿者: | 2011/08/14

引き続き帰省中です

昨日に引き続き帰省中です。
実家には弟夫婦をはじめ、従弟妹たちも来ていました。

で、従弟妹の連れてきた子供たちと接していて気付いたこと。

子供の素朴な疑問

妻が、実家への土産をお店がつけてくれた紙袋に入れ分けていたときのお話。

子供たちがその作業を手伝ってくれたのですが、
その際に紙袋が土産に対して1つ余ってしまいました。

で、子供たちは妻に「なぜ袋が余るのか?」を問うたそうです。

決定的な語彙力(ボキャブラリー)の差

大人である妻は、普通に「ああ、お店が予備の袋を付けてくれたのね」と言ったのですが、
子供たちには「予備」という単語がわかりません。

「余った」と言うことはわかるのですが「予備」という単語の持つ「保険」的な意味がわからないのです。

「念のために」や「何かあったときのために」でもピンと来ていない様子だったそうです。

容赦無い見切り

最終的に「破れたり汚れちゃったりしたときのための代わり」で何とか通じていたようですが、最初の「予備」と「念のために」の2回で、子供たちの「疑問に対する集中力」が去って行くのを感じたそうです。

子供たちの移り気な興味は、たった2回の知らない言葉で、その話題に対する集中力を失わせたわけです。

自分たちを振り返って

他人に何かを説明するとき、語彙力(ボキャブラリー)の差というのは、とても重要なポイントです。

こちらが当たり前の様に使う言葉を、受け手が知っているとは限りません。

そして、たった数回の知らない単語で、受け手は自分の言葉に興味を失ってしまうかもしれないのです。

これはブログを書くときにも考えておきたいテーマです。

簡単であれば良いと言う話ではなく

これは「子供でもわかるような簡単な文章をかくのが良い」という話ではありません。
「どの様な人に向けての文章なのか?を明確にイメージして書いた方が良い」という話です。

簡単な文章を書くことばかりを心がけた結果、内容が冗長になって読み手が苦痛に感じてしまっては意味がありません。

自分が当たり前の様に使っている言葉は、自分が読み手として想定している相手に通じるか?
という事を意識しておきたいということなのです。

言葉を交わすことの価値

今回の親戚の子供たちとの経験はとても貴重な体験でした。

自分とは経験も普段の生活も違う人間と言葉を交わすと、多かれ少なかれ、使う言葉の違いに気付かされます。

それは手持ちの単語力であったり、言葉自体への理解や見解の差であったりと色々です。
それらの”違い”に触れるとき、自分の中には新しい認識へのきっかけが産まれます。

そして、これは”何かを誰かに伝えたい”という想いと行動なくしては成立しません。

ブログやTwitterは、その様な場を広く世界に求めることができる貴重な場なのかもしれませんね。

 
 

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