日刊 あおのうま Vol.1221(2014.03.23)【そこにある、そこにしかない】

投稿者: | 2014/03/23

やりたいこと と 好きなこと

「今やりたいこと」というのは、自分が「好きなこと」なんでしょうか。
「いつかやりたいこと」というのは、自分が「ずっと好きなこと」なんでしょうか。

自分の「好き」を並べてみても、あまり「やりたい」とつながらないんですよね。

妻と楽しい時間を過ごす、好きなものを食べる、マンガを読む、ネットを徘徊する、本を読む、アニメを観る、プログラミングする、ブログ書く、映画を観る、…etc.
列挙してみると、ほとんどが「消費」なんです。

じゃあ、お前がやりたいことは「消費」なんじゃねぇの?と言われると、そうなのかもしれませんが、心情的には認めたくありません。
と言うより、「消費」は更に一歩踏み込んで省みると「出力」の代替行為なんですね。

何かやりたい。
でも大変だから、手軽な消費で心を満たしてしまえ。

そんな感じです。

もうこれも何度となく繰り返している思考の堂々巡りなのですが、自分が本当にやりたいことは何なのか?ってのが自覚できない限り、ここからは抜け出せない気がしています。

まるで十代二十代の若者がモラトリアムに悩む姿まんまですが、四十のおっさんになった今でもそんなざまです。
通例的には、年齢が進むに連れて若いころに夢見ていた様々な可能性に対して、物理的能力的な制限事項が扉をどんどん閉ざしていくので、結果的に自分が進むべき道というのは半自動で定まって行くものなのですが、もともと持っていた夢が「自分が生まれ育った様な家庭を持ちたい」という小市民極まりない夢 *01しかし、それが如何に至難であるかは、この年齢になって痛感しているわけですが。 でしたので、なかなか諦めとか踏ん切りもつかないんですよね。

実際、必要な手牌はそこそこ揃っちゃっていますし。
あとはそれをどんな手役に構成するかだけなはずなんです。

どうしてそれに真剣に向き合えないのか。
その逃避の根っこに何かがありそうな気がします。

考えても答えなんて出やしないのは、この二十年間で嫌というほど思い知ったので、行動の中で見出していくことになるんでしょうね。

1つずつ、少しずつ。
「それはやりたいことに何時、どうつながるのか?」を問いながら。

 



 

脚注

脚注
01 しかし、それが如何に至難であるかは、この年齢になって痛感しているわけですが。

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