日刊 あおのうま Vol.785(2013.01.10)【なんとなく生きて、なんとなくここにいる】

投稿者: | 2013/01/10

現在の幸福 と 将来への恐怖

唐突ですが、いま幸せです。

愛しい妻と共にあり、それなりに生活もできており、実家の両親も健在で、尊敬できる友人・知人にも恵まれている。
自分の40年の人生で最も幸福な状態にあると言っても過言ではないでしょう。

無論、もっとこうあって欲しいという希望はあります。
今が最高であると言える反面、ここが究極とは言いません。

子供が欲しいですし、もっと金銭的な余裕も欲しい、実家も継ぎたいですし、遠方の友人・知人達ともっと会いたいし話したい…etc.。
まだまだ追求したい幸せが沢山あります。

で、ふと思うのです。

現状の幸福を支えているのは、たまさか身を置くことができた状況によるもの。
もし、それが崩れ去った時、自分は今と同じ様に幸福を追求できるのであろうか?と。 *01【もし、それが崩れ去った時】いえ、近い将来、崩れ去るでしょう。

私は、これまで苦境らしい苦境に遭ったことがありません。
およそ、何となくどうにかなった結果が積み上がって今の場所にいるのです。

ですから、同じ様に何となくどうにもならない状況に陥り、そのまま全てを失っていきそうで、たまらなく怖くなります。

恵まれた身の贅沢な悩みと言われれば、返す言葉もありません。

ですが、年月と共に緩やかに閉じていく選択肢のあれこれを数えると、とても恐ろしくなるのです。

これは、結局のところ「意識して生きる」ことをしてこなかった報いと言えます。
自分の意志の元に積み上がった結果が現在であるという自覚が不足しているので、現状への納得が皆無なのです。

よく、不幸な状況を他人や環境のせいにして現実を見ようとしない人が槍玉に挙げられますが、私もその類と同じなのです。
ただ、いま居る場所に不幸でなく幸福を感じることが出来ているというだけで。

 

と、ここまでは辿り着けたのですから、現状からの脱出方法も見えてきているはず。
今の幸せな幻想が崩れ去る前に、この幸福に実体を持たせねばなりません。

自分の中から湧き出すものから目を逸らさずに向き合い、行動できるように。
それだけが唯一、自分の居場所に本当の価値をもたらし続ける方法なのですから。

 



 

脚注

脚注
01 【もし、それが崩れ去った時】いえ、近い将来、崩れ去るでしょう。

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