やる気というのは、だいたい極端に不安が少ないときに出る。不安がないのは見積りが甘いせいだが、それを自覚してはいない。逆に、きちんと見通しが立っているときにも、やる気は起きる。こちらは地味で勢いに欠け、且つ手間がかかる。だが、どちらが結果に繋がるかは明白だろう。
— MuRyuka (@muryuka) January 26, 2017
前日の振り返りと本日のやることなどを報告し合う朝会を、簡単ではあるが実施した。
そのせいか、何だか『よし、やるぞ!』という気分になった。
朝会でリストアップが済んでいるためか、まずはこれをしようと具体的に順番が浮かぶのだ。
珍しく朝から「やる気」がでていたのは、なぜだろうか。
やる気というのは、いろいろな言われ方をする。
あてにしてはいけないとか、気持ちを上げるだけでも違ってくるなど、正反対の捉え方もされる。
考えてみると、朝に感じたようなやる気と、根拠もなく『うおー!やるぞー!』と
盛り上がった気持ちのやる気は、別物ではないだろうか。
盛り上がる方の場合、達成に至る道の険しさを具体的には認識していないことが多い。
不安材料が頭に浮かんでいなければ、誰だって楽観的な気持ちになるだろう。
そんな土台から生まれたやる気は、勢いはあるかもしれないが、ただそれだけだ。
(勢いをつけるのは、悪いことではないが)
おそらく、そのやる気は目的に辿り着く力とはならないだろう。
今朝みたいに、目的への経過が多少なりとも具体的になっている場合、
勢いはないが、静かな闘志とも言うべき気持ちがふつふつとわいてくる。
経過を具体的に見積もるのは手間がかかるし、気持ちも盛り上がりに欠ける。
だが、手にしたいものは何かと考えたら、どちらを選ぶべきかは明白だろう。