日刊 あおのうま Vol.1583(2015.07.29)【評価こそ全て】

投稿者: | 2015/07/29

評価 と 行動

今朝方、Twitter でつらつらと考えていたことについて、続きを書いてみました。


私は現在、いわゆる「プレイングマネージャー」という立場にあります。

プレイングマネージャーと言えば聞こえは良いのですが、要は部下のお守り役。
という感覚が強いので、どうしても自身のアウトプットの方を優先させてしまいます。

ところが、上は当然ながら「管理」面を軸に評価して来るので、そこにジレンマが生じるわけです。
欲求と要求のねじれ。

じゃあ、管理職なんてしたくないのか?と自問すると、そんな事はありません。
単純に現状を見ても、独りよりは格段に出来ることの幅も何もかも拡がっています。
要はマネジメントを省力化したいという事になるのでしょう。

マネジメントを省力化すると言うと小難しく聞こえますが、やる事は単純です。
会社が何を求めているかを把握し、それをブレイクダウンして常に部下に提示し、部下のアウトプットをそれに照らせば良い。
人は自身を評価するものに従って行動するので、それだけで部下は動いてくれるのです。

と、言いたいところですが、ここにひとつ組織特有の落とし穴があります。 *01「組織特有」と言いましたが、実は個人の脳内でも似た様な現象は発生します。

先に述べた「会社が求めているところのブレイクダウン」ですが、これが各部門や各職位でのブレイクダウンを経る毎に、どんどん歪んでいくのです。

上司は会社の求めるところのブレイクダウンを行います。
これは各部門部署の性質・状況に合わせる以上必要な事なのですが、その際に最適化し過ぎてしまうのです。

営業部長は営業部「だけ」が最も良いパフォーマンスを発揮する様に。
生産部長は生産部「だけ」が最も良いパフォーマンスを発揮する様に。
総務部は(以下略)

さらに、それと同じ事を課長が、係長が、各担当が。
めいめいが自分「だけ」のために部分最適化を重ねた結果、最適化の数だけ歪みと矛盾が積み上がる事になります。

それはそうです。
何故なら、誰も「全体への貢献度」などでは評価せず、「担当箇所におけるパフォーマンス」でしか評価してくれないのですから。

そして、歪んだブレイクダウンによって行われる評価は、それに従って動く人間の行動を歪めて行きます。

例えば「在庫を減らせ」という同じ口で「決算のために製品資産を積み上げろ」と、お達しが出た場合。
資材の購入はギリギリまで抑制しながら、とんでもないハイペースで生産を行ったりします。
そうすると、生産計画はどんどんタイトになり、わずかなほころびで連鎖的に破綻する。

結果、大慌てで資材の追加購入を手配することになり、特急料金をふんだくられる。
挙句に、結局生産自体は間に合わず、倉庫と現場には無駄な半製品が散乱する。
在庫は減らず、資産も積み上がらない。
お前ら何をやっていたんだ?という話になる。*02お気付きの様に、ここまで各自は最大限の努力を払っています。

かくして、誰もサボっていないのに、誰も評価を得られないという悲しい構図が完成する。


長々と書き連ねてきましたが、結局のところ「誰が何をどう評価するか?」に尽きるのです。
そして、その評価基準が上司の考えでもなく、部門の利益でもなく、「会社の目的に沿っているか?」なのです。

ただ、これをいち社員が声高に叫んでも「ええから、先ず言われたことやれや」と上司に言われて終わりでしょう。
そこを何とかするために、あれこれと学び、動き、手を尽くすわけですね。 *03で、その過程で当初の目的や志を忘れ、部分最適化の罠に堕ちて行くわけです。

言うだけで周囲が動いてくれるならば、こんなに楽な事はないのですから。

脚注

脚注
01 「組織特有」と言いましたが、実は個人の脳内でも似た様な現象は発生します。
02 お気付きの様に、ここまで各自は最大限の努力を払っています。
03 で、その過程で当初の目的や志を忘れ、部分最適化の罠に堕ちて行くわけです。

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