日刊 あおのうま Vol.717(2012.11.03) – 全力で生きるというのは、きっとああいうこと –

投稿者: | 2012/11/03

幼児 と 大人

本日は妻の友人が来訪してくれておりました。
そのうちお一方はお子さん連れ。

2歳の男の子なのですが、たっぷり遊んでもらいました。 *01【遊んでもらいました】私の方が喜んでいたので、この表現で合っているのです。

まだ善悪賞罰の概念は自己の内にあまり育っていないらしく、おいたをしてはお母さんに叱られ、泣き、再び好奇心のままにあらゆるものに興味と行動を持って飛び込んで行く姿は、とても微笑ましく、また考えさせられることが多かったです。

この子にとって、「明日」という日はおそらくないのだろうなと。
ただ、目の前の今日、今、そこにあるそれだけを全力で追っている感じです。

それだけに、常にパワフルで、実に楽しそう。
そこにおよそ損得勘定らしきものは見られず、自己と世界の境界線すら無いのではないかと思わせるプリミティブな存在がそこにありました。

大人になると、経験則と学習を得て、高度な思考の拡がりと行動の取捨選択に関する効率性を獲得しますが、同時にこれほどまでに自由闊達な「魂の純度」とでもいうべきものを失ってしまいがちな気がします。 *02【魂の純度】まあ、幼児のそれは言い換えると「子猫のそれ」に近いのかもしれませんが。

常に自分が「好き」なものを見失わないこと。
そして、それに飛び込むとき、躊躇や恐れに縛り付けられないこと。
自分より37歳も年下の子に教えられた日でした。

 

大人 と 中年(おっさん)

2歳児に丸一日遊んでもらったわけですが、お別れしたあと、どっと疲れが襲って参りまして。
そのあとはろくに着替えもせずに寝てしまいました。

遊んでいる時は全く疲れを感じなかったんですけれどね。
我が身のおっさんっぷりを痛感しております。

あのパワーと毎日、毎週、毎月、毎年、付き合い続ける親御さんって、本当に凄い。

 



 

脚注

脚注
01 【遊んでもらいました】私の方が喜んでいたので、この表現で合っているのです。
02 【魂の純度】まあ、幼児のそれは言い換えると「子猫のそれ」に近いのかもしれませんが。

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