不幸 と 幸福
妻の友人のお父様が亡くなりました。
急な話でしたが、取り急ぎ妻はお通夜へ。
お葬式には、仕事の関係で出席できそうにないためです。
で、考えたくもないのですが。
年齢的に、自分の親も、いつその日が来てもおかしくはないのですよね。
私は両親から過分な__という表現もおかしいですが__愛情を注がれ、育ててもらいました。
最近まで自覚がなかったのですが、これは非常に稀で幸福でありがたいことな様です。
振り返って、自分はその受けた愛情に対する感謝を親に返せているだろうか。
「育てた甲斐があった」と父母に思わせるだけのことが出来ているか。
自問すると、うつ向いてしまうばかりです。
他人様の不幸に際して、こんなことを考えるのも不謹慎な話ですが、我が身に置き換えると非常に身につまされるのでした。 *01【身につまされる】別に妻の友人さんが親不孝というのではなく、あくまで「我が身に置き換えると」の話です。
ご冥福をお祈りします。
解放 と 不安
所属会社で以前に担当していた部署から、ずーっと引っ張る破目になっていた職掌から突如解放されました。
Webサイトの管理なのですが、外部業者に委託することになったそうです。
前任者の作成した色々とアレな作りのページを、諸処の事情から作り直すことも出来ず、ただ面倒を見続けるだけという切ない仕事でしたが、ようやく解放され…るはずです。 *02【解放され…るはず】これまでも、あれこれ右往左往した挙句に元の鞘という場合が多々あったので、最後まで安心できない。
ともあれ、これで1つ余計な荷を下ろせます。
と同時に、また1つ社内でのボス(社長)とのパイプが切れました。
ウチの様な小さな会社は、それが結構な不安材料だったりもするんですよね。
さて、どうなることやら。