日刊 あおのうま Vol.830(2013.02.24)【考えたのは1分ほどだけど、文章にすると長いね】

投稿者: | 2013/02/24

豊かさ と 年齢

「豊かさ」とは何であるか?と問うた場合、それは「選べること」だと答える人は多いでしょう。
私もそう思います。

「貧しい」とは選択肢がないことです。
着るもの、食べるもの、住む場所、仕事、人生、それどころか、生存することすら選べない人が世界には沢山います。

そう考えると「豊かさとは選べることだ」というのは、間違っていないでしょう。

さて、その「豊かさ=選べること」の図式に当て嵌めてみた時、老いるということはどうなのでしょうか。
綺麗ごとは抜きにして、老いるというのは可能性が閉じて行くことを意味します。

それは良くも悪くも、年齢を重ねるということが、肉体的、精神的、社会的に自己が確定して行くことと同義だからです。

若者は多くの部分が未熟で曖昧ですが、それ故に多くの可能性の余地を持っています。
それは沢山の選択肢を持つ事と同義です。
「選択肢が多い=豊かである」の図式に当て嵌めれば、未熟であればある程、それは豊かであるということになります。

しかし、実際に「自分は豊かだ」と答える若者は多くないでしょう。
なぜなら、多くの若者が持つ「可能性」は「未定」であるが故のものであり、それは「実現性」に欠ける夢物語である場合が多いためです。

やがて、若者は成長に伴い様々なものを獲得し、確定させるに連れて、これまで「未定」であった「可能性」を「実現」させ、手に入れ始めます。
そして、同時にこれまで多く持っていた「未定の可能性」は、どんどんと減って行くわけです。

或いは、この「実現させ得る可能性」の多さと大きさこそが、本当の意味での「選べる豊かさ」なのかもしれません。

では、さらに年齢を重ねるとどうでしょうか?
冒頭で述べたように、可能性という枠は年齢と共にどんどん狭くなって行きます。
同時に、それまで確定させてきた現実が、その人の成果として目の前に積み上がるわけです。

それは、その人にとっての大切な資産です。
まさに「豊かさ」の象徴と言っても良いでしょう。

ですが、その積み上げた「豊かさ」は、確実にその人の選択肢を狭めます。
多くを、そして大きを成すほど、それはその人の行動に見えない足枷となってまとわり付くことでしょう。

そして、やがて新たな「可能性の実現」を積む場所がなくなった時、そこには消化試合の様な人生が待つことになるはずです。
それは、可能性も閉ざされ、ただ死に向かうだけの絶望的な時間。
想像も付かない暗黒なのではないでしょうか。

と、ここまで考えた時に、私はふと思いとどまりました。
「本当にそうか?」と。

年齢を重ね、多くの可能性を確定させ、同時に選択肢が減る。
これは確かにそうでしょう。

しかし、年齢に関係なく維持できる選択肢が2つあります。
いえ、むしろこの2つは老若男女関係なく、いつでも、いくらでも増やせる選択肢です。

それは「思考」と「意志」です。

実際、歳を取ると、行動に移せる選択肢はどうしても減ります。
これは致し方ない部分でしょう。
残念ながら、未だ熱力学第二法則に勝利した人間を私は知りません。
人は誰もが老いて死にます。

ですが、同じ「A」という行動を取るに際しても、その背景にどれだけの「思考」を巡らせることができるかは年齢に関係がありません。
また、それを決定する意志を持つことも同様です。

多くの思考を巡らせ、その上で選んだ行動は、例え限定されたものであったとしても、自身の内に残るものが大きく異ります。
それは、千万の選択肢の拡がりから自身の意志と思考で収束させ、選び抜いた1つ。
惰性と制約に縛られた挙句に行き着いた結果とは似て非なるものです。

思考し、決定し、行動する。
これは死ぬその瞬間まで手にし続けることが出来る「選択肢=豊かさ」と言えるでしょう。

私は今年40歳になりました。
多くの選択肢が現実問題として閉じて行くのを感じています。

しかし、思考すること、決断すること、行動することに年齢による縛りはありません。
自分が求めるところは何なのか?そこに至る方法は何があるのか?それを自分はどう実践するのか?
それを追求することさえ忘れなければ、そこには尽きない「選べる豊かさ」があると考えています。

 



 

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