日刊 あおのうま Vol.2267(2017.06.15)【善意に始まり悪意に落ち着く】

投稿者: | 2017/06/15

仕事 と 課題

上司が毎週、プログラミングの「課題」を出してくれます。

例えば「変数の再代入を行わないな素因数分解関数を作れ」とか「モンティ・ホール問題の検証コードを書け」とか。

勉強になるし楽しくもあるのですが、明らかについてこれていない者もいます。

で、どうなるかと言うと、やってこなくなるんですね、課題を。

「書けませんでした」とか「わかりませんでした」で終わらせようとする。

「ここまで書いてみたけれど、ここから先が書けない」とかでなく、ただ「考えてみたけれど、わかりませんでした」と言ってしまう。

何も書いてこないのでは、何をどう考えたのかもわからないし、指導のやり様もないわけで。*01いちいち、その人がどう考えたのか訊き出す時間と根気があれば別ですが。

それをさせないために、今度は上司が言い出すわけですよ。

「必ず書いてくるように。(仕事の)評価に含めるよ。」と。

そうなると、ついてこれない者は更にプレッシャーを感じて萎縮したり、投げやりになるんですね。

手取り足取り教えるべきとは私も毛頭思わないのですが、付いてこれないどころか、過程すら出してこない者に無理強いしても、誰が幸福になるのかなと考えます。

それはそれで当人の選択なのですから、放って置いてやった方が良いのでないかなと。

もし当人が出来ない事が悔しかったり、必要だと考えたりするならば、その時やってきていなくても自分で出来るまでやると思うんですよ。

仕事なら納期もあるので、期日までに出来ていなければ問題ありですが、課題ですから強制(あるいはそれに準じるもの)である必要は無いはず。

何より、強制になると私が困るのです。 私だって本来の業務が忙しければ、課題なんぞ後回しにして実務に没頭したい場合が出てきますから。

とまあ、ブログでは好き勝手に書き散らかせるんですが、当の上司に直言するかと言うと、しないんですけれどね。

それこそ、誰が幸福になろうと、私に飛び火して私が不幸になるのは、まっぴらごめんなので。

勝手なものですね。

脚注

脚注
01 いちいち、その人がどう考えたのか訊き出す時間と根気があれば別ですが。

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