「わかりませんでした」でお終いってのは、どうにも落ち着かない
昨日のエントリーで、「#NewTwitterへようこそ!」バナーの消し方を調べて、結局わからなかったと言うことを書きました。
しかし、「調べました。わかりませんでした。はい、以上。」ってのは、
どうにも落ち着きません。
何かに負けた気がして、地味に腹立たしいんですよね。 *01我ながら小物…。
こちらの要望を伝えようとしてみた
せめて、こちらの想い、意図する要望を伝えてみようと考え、以下の様なことをしてみました。
1,「最新情報」のリンクをクリック
↓
2.「新しいTwitter.comへようこそ」画面が開くので、下にスクロール。
↓
3.「#NewTwitterJPに関するご感想をお知らせ下さい。」とあるので、そのリンクをクリック。
↓
4.入力フォームが出るので、こちらの感想(要望)を入力して、「実行」ボタンをクリック。
↓
5.Failed to submit request…とか言われて、送信できない。
↓
6.仕方ないので、ツイートで送信してみる。
後は結果待ち
こちらの言いたいことは伝えました。 *02ツイートなので、先方に届いているか否かは疑問ですが。
後は、どう転ぶか結果待ちです。
運営が回答を返してくれるかもしれませんし、黙殺、或いは気付かれずに終わるかもしれません。
また、ツイートなので、他の「消し方を知る誰か」がリプライを下さるかもしれません。
GTD の Waiting for 効果
いちばん言いたかった事は、
「わからん事をそのままにしておくのはもったいない」
って話です。
今回、Twitter公式Webのバナーがウザいってだけの理由で、その消し方を調べてみましたが、結局わかりませんでした。
んで、そのまま「わからんかった」で済ますのも、ひとつの解決策です。
細かい事にいちいち気を取られていると、人生楽しめません。 *03少なくとも私はそうです。
ですが、気になるモンは気になるんです。
特に私の様な小物 *04自分で言っていて悲しくなってきた。orz は、「わからなかった」事実を忘れるまで、歯に挟まった食べカスみたいに気になり続けます。
イライラします。
しかし、何かしらのアクションを起こしておいてあると、少しだけ違ってきます。
Twitterで何気なしにつぶやくんでも良いです。
昨日の私のブログエントリーみたいに、「誰か知っていたら教えてね」って書くんでも良いです。
知らない誰かに向けて、疑問をポストしておく。
その1アクションが、
何故か心をスッキリさせます。
これは、GTDで言うところの「Waiting for(待ち)」に「気になること」を処理するのと同じです。
ネットの向こうにいる「誰か」に「気になること」を預けた形ですね。
この場合、解決策が提示されるか否かは、おそらく重要ではありません。
ただ、「今の自分では解決できなかった事を預けておけている」という事実が、おそらく心に引っ掛かった何かを忘れさせてくれるのだと考えています。 *05まあ、大概は実際に忘れて問題ないような小事ばかりですが。
「iPhoneのTwitter公式クライアントになぜ非公式リツイートがないのか」といった疑問を@twjにツイートしたのですがまだ返事がありません。疑問に思ったことはどんどん質問ですね。
コメントありがとうございます!(^-^)
まあ、あまり度が過ぎると「何?この教えて君…」と思われそうなんで、おっかないんですけれどね。(笑)
直接に質問じゃなくても、「このことについて調べ中」ってブログに書いておくんでも、随分と気が楽になります。
解決したわけでもないのに、不思議なものです。