日刊 と 通信
今日、こんな記事を読みました。
@donpy さんの「@donpy 通信」です。
副題の形式からもわかる様に、私の「日刊 あおのうま」をネタにした感じ。 *01【ネタにした】「日刊 あおのうま をネタにした」と明言されているわけではありませんので、単に私の自意識過剰という可能性もあるわけですが。それはそれで恥ずかしい。
内容的にも、@donpy さんの日常を振り返りつつ、それに付随する思考を散文気味に書き出している形式でした。
これまた「日刊 あおのうま」と重なります。
しかし、読後感は私の「日刊 あおのうま」と大きく異なりました。
@donpy 通信の方が、数段読みやすいのです。
なぜでしょうか?
そこを考えてみて、はたと気づいたのは「通信」は「語りかける様に書かれている」ということ。
ちょうど己自身に「今日はどうでしたか?」と問いかけられ、それに答えるかの様に。
問いかけに答えるということは、誰かに届く様に語るということ。
それは、ひと言でいうと「読者を意識する」ということです。
「日刊」と同様に自分語りをしていても、そこが大きく異なるわけですね。
とは言え、おそらく@donpy さんは、その点をいちいち意識してはいないでしょう。 *02【いちいち意識してはいない】されていたらすみません。
ごく普通に思いのままを「通信」に書いたはずです。
それでも、この違いは表れるわけです。
このあたりを意識せずに書けるようになると、また違った世界が見えてくるのでしょうね。
とりあえず私は一部のプログラミング系記事を除いて、妻を想定読者にして書くようにしてみようと思います。
まずはそこから。