四十男 と 自分探し
「自分はいったい何がやりたいのか?」
もう不惑も越えたおっさんが、未だに若者の自分探しの様なことを考えています。
今まで万事が「なんとなく」で何とかなってしまった事のツケが来ているようです。
これといった不満はありませんが、このまま死にたくはないという、非常に漠然とした恐怖が常に心の片隅にへばりついています。
結局のところ探して見つかる自分なんぞどこにもありはしなくて、何かに本気で取り組んだ結果が自分を形作るなんてことは、とっくに知っているはずなのですけれどね。
足りないのは切迫感なのでしょうか。
でも、切迫感に追い立てられ続けるのって楽しいか?
たぶんピースはとっくに揃っていて、完成図もある程度視えているんだろうな。
ただ、それを「見たくない」「見ようとしていない」だけで。
このまま行くと、親の死という避け得ないトリガーが引かれた時に、そこに直面することになる。
その前に向き合う覚悟を決めなくては。
いつまでも「わからない」では済ませられないのだから。
やりたいこと と できること
「やりたいこと」なんて探そうとするからあかんのかな。
「できること」を書き出してみたら、何か見えてくるかもしれない。