身体の声 と 心の耳
今日、妻との何気ない会話で出てきた言葉。
「身体が『休みたい』って言っている声は無視する事もできるんだけれど、それを続けていると、だんだん聴こえなくなってくるよね」
ああ、なるほどなと感心させられました。
身体の声に限らず、何かを訴える声というヤツは、耳じゃなくて心(と言うより「感性」でしょうか?)で聴くものなのかもしれません。
無理をしなければならない状況というのは誰にでもあるわけですが、その時、無視するのではなく、聴いた上でどうするか決めるというのは、同じ「無理をする」であっても、その後の身体との付き合いに大きな差を生み出しそうな気がします。
あ、これは身体に限らず「心の声」でも同じなのか。
このあたりの行動規範というか意志決定の構造ってのは想像すると興味深いですね。