売り切れ次第終了のラーメン屋
近所に売り切れ次第終了のラーメン屋さんがあります。
夕飯はそこにしようかという話になっったのですが、行った挙句に品切れ終了では面白くありません。
で、ラーメン屋は取りやめになるはずだったのですが、ちょっとした提案で「駄目もとで行ってみよう」という話になりました。
それは「もしラーメン屋がダメだったら、そのまま足を伸ばして梅田で気になっていたお店に行こう」という提案でした。
いわゆる「プランB」というヤツです。
予定していた計画が思うに任せなかった場合の、第二案のことですね。
安全策があるからこそ冒険ができる
「お店まで行ったが食べられなかった」では、出かけたことが丸々無駄になってしまいます。
しかし、プランBという安全策を用意することで「これがダメなら、あれで」という気持ちの余裕が生まれます。
結果、失うこと(この場合は出かける時間や気持ちが無駄になること)を怖れずに、行動することができる様になります。
冒険できる様になるわけです。
冒頭の事例は単にラーメン屋に行くか行かないかという、しょーもない選択ですが、これに限らず不確定な何かに臨む際に「プランB」の存在は大きな武器になります。
緊張感 と シミュレート
「失敗することを前提に組み立てる計画に緊張感は生まれない」という意見もあるかもしれません。
しかし、予想外の事態も想定せずに組み立てる計画は、単なる希望的観測です。
プランBは状況をシミュレートした上で用意する当然の備えなのです。
また、緊張感は一定レベルまでは行動に細心さを与えてくれますが、度を越すと恐怖で行動を束縛します。
プランBの存在は緊張感を損なうのでなく、調整する機構としても機能するのです。
ラーメン屋へ行くのにプランBは必要か?
さて、冒頭でラーメン屋に行くか行かないかという、我ながらしょーもない事例を挙げました。
はたして、ラーメン屋に行くのにプランBは必要なのでしょうか?
小難しい理屈をこねずとも、行きたければ行く、ではダメなのでしょうか?
別にプランBなど要らないと思います。
たしかに、そんなことしなくてもラーメン屋にぐらい行けますし、行ってダメだったら他所へ行くなどというのは、当たり前の話です。
別に大層なことではありません。
日常こそ最良のトレーニング
そこにあえて「プランB」を意識するのは、その思考を自然に行えるようにする良いトレーニングだと思うからです。
人は先の見えない何かに向き合うとき、どうしても「イチかバチか」の悲壮な覚悟をもって臨もうとします。
しかし、生命がかかっているのでも無い限りは、そうそう「イチかバチか」などというコトは無いと思うのです。
ですが、事がその人にとって大きければ大きいほど、視野狭窄におちいり「プランB」の存在を忘れます。
ですから、普段の何気ない選択において、トレーニングを行います。
ラーメン屋に行くという行動ひとつにも、プランBを意識するのは、そういう事なのです。