日刊 あおのうま Vol.2246(2017.05.25)【ハートマンにはなりたくない】

投稿者: | 2017/05/25

指導 と 成長

いま、会社で部下への「指導」とやらはほんまに必要なのかと考えています。

自身の指導のマズさを棚上げしても、私自身とその周囲を思い起こして、誰かの指導で成長したという人を観た記憶がないのです。

誰の手も借りずに成長したとか言う話ではなく、成長する人は指導とやらの有無というより、周囲を刺激としてそこから様々なものを汲み取って、自身で成長していた様に思えます。

技能職はともかく技術職を始めとするナレッジワーカーにおいて、「指導」というのは正直要らんのじゃないかなと。

ただ、これをそのまま上司に訴えても、単なる指導放棄と受け取られるだけなのでしょうね。
明確なメリットを提示しなければ。

部下が成長しようとしまいと本人の好きにすればええんですが、上司の理解と納得を得られないと私が損をします。
そこはどうにかせなあかんですね。

上司が指導を求める最大の理由は何でしょう。
組織の将来像的にメンバーの成長を折り込んでいるからというのがお題目ですが、要は「ほんまにコイツらこのままで大丈夫か?」という不安をどうにかして欲しいという事ですかね。

まあ、それは今の「指導」を続けたところでどうにもならんと考えられるわけですが。
どこまで行っても「人ありき」なのよなあ。

それを払拭しようと思えば、何らかの「仕組み」でカバーできる事を示さねばならんわけか。

技術者ブートキャンプみたいなのに放り込めば、一定レベルになって帰ってくるとかあればええんですけれどね。

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