日刊 あおのうま Vol.1581(2015.07.27)【想像の必然】

投稿者: | 2015/07/27

練達 と 理外

私は、何かを知ろうとする時、どうしても現在自分が持っている知識や概念に当て嵌めて理解しようとしてしまいます。
そしてそれは、年齢を重ねるに連れて顕著になっている様に感じます。

人によっては「それが老害の元だ」などと言うかもしれません。
しかし、これは事象に対する効率的な処理という観点において至極真っ当な傾向であり、それを否定することは人の学習や経験を否定する事と同義です。

学習し、経験し、事象に対する処理の効率化を獲得する事によって、人は自身が対応できる事柄の枠組みを拡げていけるのです。
もしそれが無ければ、毎回毎度、初手から行動を選択し、決断して行かねばならず、その思考における負荷とロスは制約として常にのしかかって来る事でしょう。

大人と子どもでは、対応できる状況に格段の違いがあるのは、このためだと考えられます。
単純に踏んできた場数の違いというわけです。

ところが、ある線を超えると、積み上げてきた学習と経験が逆に足を引っ張る事になります。
全ての事に既知の知識や概念を以って対応するため、そのフレームワークから外れる行動が取れなくなるのです。

そうなると、もはや何をどう体験しようと行き着くところは同じです。
よく言えば安定するわけですが、悪く言えば成長が止まってしまう事になります。

知識や経験の増加に基づく効率化は進んでも、新たな価値観や処理フローの獲得が困難になるわけです。
先入観から来る視野狭窄や、自身の立ち位置に固執するが故に生じる他者との確執などは、この学習や経験が逆に足を引っ張る典型でしょう。

この様に経験や学習と新たな価値観や処理フローの獲得というのは、トレードオフの関係にあります。
しかも、経験や学習の側に対して可塑的に。 *01可塑的:元に戻らない傾向

つまり、一度ある経験や学習を得てしまうと、もはや二度とそれ以前には戻れないのです。 *02逆に言えば、忘れてしまうレベルの事は身に付いていないとも言えるわけですが、それは今回とは別のお話。

では、これから先、どんどん思考は固定化し、物事に対する判断だけが早くなり、全てのことから進取の楽しみは失われて行くのでしょうか。

私の答えはNoです。
ちょっと矛盾する回答かもしれませんが、その積み重ねる学習と経験の中にこそ答えはあると考えています。

経験と学習を重ねると、事象に対する思考や行動のパターンが構築され、効率化が図られる事は先にも述べました。
では、敢えてその逆を行えばどうなるか?或いは、それに新たな何かを加えるとどうなるか?或いは、裏は?対偶は?…etc.

そうです。
発想法です。

別段、何ら新しい事ではありません。
既に先人達が充分な道筋を示してくれていました。

「子どもの様に自由な発想や行動」と言うと、まるで思いも付かない無限の可能性の様に感じてしまいます。
しかし、現実の事象に対して人が採り得る思考・行動パターンというのは、せいぜい8パターン程度に分類できるのです。
あとは、その8パターンからの選択が無限に連環して続いて行くだけと言えます。 *03まあ、この考え方は論理関係の断裂に類する選択を全てひっくるめて「1パターン」としている故でもありますが。

ですから、その分岐バリエーションを常に(或いは不確定に、或いは要所だけでも)思考に挟み込む事で、童の如くとまでは行かないまでも、思考や行動の固着を抑制し、幅と厚みを持たせる事ができます。

ところが、この発想法の運用というヤツは強力な分、非常に困難です。
なにせ、結局は「経験と学習を重ねて効率化しよう」という動きに対してブレーキをかけるわけですから。
例えばテレビやネットから得た情報に対して、毎度毎回「ほんまかな?」とか「この逆だったら?」とか「この副作用としては…」とか、いちいちいちいちいちいち考えていたら、頭が茹だってしまいますよね。 *04まあ、世の中にはそれを全く意に介さず楽しそうに続けている人達もいらっしゃるわけですが。羨ましいと言うか、妬ましいというか…。

ですがいま、我々は機械学習をはじめとする人工知能というツールを手に入れようとしています。
人が自分の脳内だけで行うには負荷が大き過ぎる思考シミュレートや分析を、プログラムとアルゴリズムが補佐してくれる時代がすぐそこに来ているのです。

例えば、Google やEvernote は知識と記憶を外部化してくれるツールとして浸透してきましたが、今後はそれに加えて思考の一部を外部化するというツールも一般化してくるかもしれません。*05実際、マインドマップやKJ法、ブレインストーミングなどは、外部化され並列化された思考と言えます。ただ、それの操作を人が行うか、コンピュータに半自動で行わせるかだけの違いです。

そうなった時、私は何を考え、どう行動するのでしょうか。
そして、それは当然、私だけでなく他の人達も同じ様に取り入れている社会の到来を意味します。
それはどんな世界なのでしょうか。

なんて事を考えたのでした。*06ベタですか、そうですか。まあ、昨日のオフ会の影響というか余熱みたいなもんです。

概ね3週間遅れ

今回の日刊、書き終えてから「あれー?なんか既視感が…」と思ったら。


もーねー、我ながら何てわかりやすいヤツだろうと。
正直呆れております。

脚注   [ + ]

01. 可塑的:元に戻らない傾向
02. 逆に言えば、忘れてしまうレベルの事は身に付いていないとも言えるわけですが、それは今回とは別のお話。
03. まあ、この考え方は論理関係の断裂に類する選択を全てひっくるめて「1パターン」としている故でもありますが。
04. まあ、世の中にはそれを全く意に介さず楽しそうに続けている人達もいらっしゃるわけですが。羨ましいと言うか、妬ましいというか…。
05. 実際、マインドマップやKJ法、ブレインストーミングなどは、外部化され並列化された思考と言えます。ただ、それの操作を人が行うか、コンピュータに半自動で行わせるかだけの違いです。
06. ベタですか、そうですか。まあ、昨日のオフ会の影響というか余熱みたいなもんです。

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