日刊 あおのうま Vol.1415(2015.02.08)【混沌陰陽四象八卦】

投稿者: | 2015/02/08

ゴール と ルート

以前、トップダウン と ボトムアップ についての記事を書きました。


そして今日、@rashita2 さんのこちらの記事を読んで、再び考える機会を得ました。


私は他人様の考えを聴くとき、だいたい自分にとっての答えあわせの様に受け取る傾向があります。

まあ、答えあわせと言っても正解を求めているわけではなく、自己の思考や行動に対して他者のそれを照合することで、あらたな取っ掛かりを得る事ができるからなのですが。

@rashita2 さんの記事に「逆向きの思考がどこかで働いてバランスを取っている。」とあった点は、ちょうど私の書いた記事における「トップダウンにはボトムアップによるフィードバックが必要ですし、ボトムアップにはそれを方向付けるトップダウンが必要なのです。」という考えと合うなーと思ったりしたのが、それにあたります。

んで、今回あらたに得た取っ掛かりがこちら。

子どもが操るレゴブロックのように、それが最終的にどんな形になるのかは、事前にはさっぱりわからない。
なにせ、なんとなくくっつきそうな、あるいはくっついたら楽しそうなブロックをつなげていくだ。
予測などしようがないではないか。	

詳しくは@rashita2 さんの記事をぜひ読んでみて欲しいのですが、トップダウンの補完を必要としないボトムアップというのは確かに存在します。
そして、私はその事を無意識に頭から追い出していた事に気付かされました。

@rashita2 さんの挙げた例に「子どもが操るレゴブロック」とある様に、子どもの発想というのは私の様な大人から見ると非常に自由です。
それは同時に稚拙であったり主観的に過ぎたりという部分もあるのですが、そもそも「稚拙」とか「主観的」という視点自体が何らかの「ゴール」なり「評価基準」をベースにした視点であり、発想や行動の自由自在さとは軸を異にするものです。

普段、仕事をメインに動いているとどうしても「ゴール」を意識してしまいます。
それ自体は否定される事ではありませんし、ゴールを設定しないのは仕事ではなく趣味だろうとも考えています。

ですが、ゴールを設定するという行為はやはり同時に枠を嵌め、ルートを固定する事につながるんですよね。
そして、それが当初設定したゴールを超える何かやどこかに到達させてくれる事は稀です。

「狙った通り」までは行けても「狙った以上」には、なかなかならない。

これもやはり、どちらが優れているというのでなく、異なる両者という話になるんですが、トップダウンとボトムアップの比較より遥かに高い壁を感じます。

実際、大人になって物事に対するアプローチがどんどん洗練されて行くに従って、同時に子どもに観られる様な自由快活な伸びやかさというのが自身の思考から失われている(そもそも過去は備えていたのかすらわかりませんが)事を思い知らされます。

で、いざ子どものそれを取り戻そうとしても、その時点で既に「子どもの様な自由な思考を取り戻そう」というゴールに思考が居着いてしまっていて、それに縛られてしまうのです。

冒頭に挙げた自分が考えるところの「トップダウン と ボトムアップ」は、あくまで「ゴール と ルート」を設定した上での考察であり、@rashita2 さんが挙げた様な「どこに至るかも鑑みない伸びやかさ」については、ほとんど考慮していませんでした。

ですが、ものごとと言うのは、0があれば1が生まれ、1があれば2が生まれ、2に至れば4が、4から8へと展開が可能なんですよね。

今回、私は@rashita2 さんの記事のおかげで、新たに「2」を得ました。
これを並べてみれば必ず倍の4が見えるはず。

それによって、子どもの頃の伸びやかな思考とまでは行かずとも、今の居着いてしまった思考の殻を破る鍵は得られるかもしれないなと考えています。

結局、ゴールありきの自分からはまだまだ抜け出せないかもしれませんが、選べるルートの多さぐらいは気付ける様になりたいものです。

 



 

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